昭和42年6月30日大祓式
始めて私は、大祓式というのを奉仕として頂きました。何のお祭りでもそうでございますように、そのお祭りお祭りの芯とでも申しましょうか、そのお祭りの正確とで申しましょうか、それが、私ははっきりしておかなければならないと思いますのに、大祓式というのは私は始めて、そちらの方聞こえるでしょうか。隅々聞こえますか。聞こえますか。
ただ、お月次祭ならお月次祭にじゅんじたお祭りとその形だけをとる事なら見やすいのでございますけれど、その精神を頂きよる。だいたい大祓式というのは神道から来とるのです。ほしてこの神道の形式に金光教の信心も、まあのりとってございます。教祖の神様ご自身が天津祝詞を奏上されましたり、ね、または、般若心経あげられたりといったようなご時代もございましたんです。
ですから、その精神とするところは、だいたい同じ事であろうと思いますけれども、大祓式というのは金光教的ではないと言うので、最近の教団ではこの大祓式というのをいたしません。けれどもやはり、歴史を持っておりますお祭りでございますから、どこでもやはり、今日も午前中、長男と長女が楽の御用と祭員のおかげを頂いておりましたから、お祭りを頂いて参りましてから、このお祭りを奉仕させてもらいました。ね。
だから大祓式とこそ言わないけれども、内容はやはり大祓式であるということ。私はそれが(ほらぶんとうだ。?)本部からは、まあ私の方にはまだ、通知を受けとりはせんけれども、大祓式をしておる所は、お礼のお祭りお詫びのお祭りをしよると。いうことでございますそうですけれども、私は何と言うてもです。大祓式は大祓式、おかげを頂きまして半年間、今日まで無事息災でおかげを頂いてまいりましたお礼もさることながら、いよいよ暑さに向かってまいりますと、様々悪い病気が流行ったりいたします。
昔、今でもそうでございましょうけれども、氏神様の方では、蚊帳くぐりと言うて蚊帳で輪を作りまして、輪くぐりと言うをいたしました。やはりあの大祓のそれをくぐると、今年はその悪い病気なんかはしないというわけ。そういう儀式をいたします。ね。ですから、私はどうでもそういう、ここの大祓式はどういうような大祓式にさして頂こうかと。
ですからここ、まあいうならば独特のものかもしれません。皆様の所にお手元に配りましたあの、自動車のはらえつものなんかっていうのは、もうここだけじゃなかろうかと思います。けれども私どもがですね、人間が切実にです。もう何者にかすがらなければおられない。人間の知恵やら力ではどうにもできない。これをふさぐ事はできない。
そこに、もしここに偉大な力がもしあって、その偉大な力にすがれば何とかなるものならばすがりたいという気持ちは、一様誰でも持っておる事であります。いやそれは、まあ効があるかないか分からないにいたしましても、ね、例えて申しますと、何々神社から交通安全のお札が出る。と大何々と言う大きな自動車会社なら自動車会社なんかは、それこそ、そのお札を担うてもろて来るほどに、たくさんもろて来る。
まあもろて来るとじゃないでしょう。まあ買うて来るとでしょうけれども、お受けしてくるわけなんです。ね。それがどれほどの効があるかないか分からんでも、人間の心の中にはです、何かにこうすがりたいというものがあるんです。ね。いわゆる私どもが切実に願いとするもの、そういうようなものが現在、これはもう夏になりますと、悪疫などが流行してまいりますから、そういう病気なんかにかかりませんように、例えば、今までの大祓式であったら、それこそ老若男女が、もう「今日は、大祓の式がある、蚊帳くぐりがある。まあ今年中悪い病気でもせんように」と言うて、輪くぐりに参りました。
そして、んなら(今月月最後になんかに、?)お水つけてもろうてこう払うておられました。ね。皆さん方こうやって、例えば今日の通知を受けられてからお出でられました皆さんでもやはりそうである。ね。どうぞ今年度も悪い病気でもしませんように、または、たくさん、毎日毎日、新聞紙上にもそれこそ何件か載ってない事ないほどの交通事故からもし免れる事ができるのなら、ね、そういうおかげも頂きたい、とこう願われてから今日のお参りであったろうとこう思うのでございます。ね。
そこで私は皆さんに、まあ、これは私は神様から頂いておる事を確信しとるから申し上げんのでございますけれども、ただ今申しますように、このお祭りがどういうような性格でなからなければならないか。どういうところを焦点としてのお祭りでなからなきゃならないか、ということをまあ2、3日考え続けさして頂いておりましたら、昨日、頂きました。御祈念中に繰り返し繰り返し頂きますのがこの歌でございました。
ここんところが分からない。あんまり上手だから分からんのです。忘れんように書いときました。■「(霊幸はう?)、神の御徳に清められ、今は穢れの雲霧もなし」ということ。「今は穢れの雲霧もなし」と言う。「たまちはう」と言うのは、ね、魂、ね、「幸はう」と言うのは幸せと言う字を書いてある。「神のみのり」と言うのは「神の大徳」と書いてある。に清められる。「今は穢れの雲霧もなし」ということを繰り返し繰り返し頂くんです。
そこで私は思いましたんですね。この、これは他所は知りません。合楽のお広前にです。今日の大祓におかげを頂かれて皆さん、今日集まって来た自動車、これは確かに、雲霧の形も無いほどの払い清まりができておるということを、私は確信いたします。ね。これは信心があってもなかっても、善人でも悪人でも、ね、今日のお払いを受けさして頂いた皆さんの(身へにです?)。 霊幸はう神の御徳のお働きというものが、ね、雲霧の形も無いように払い清められたことであろうということを私は確信します。
ところが、今年は実に残念な事でございましたけれども、このお祭りを思い立ちましたのが、このお月次祭の幾日前でございました。23日の月次祭にも唐突だから発表ができないような始末でございます。そこで、もう印刷するのも間に合いませんから、久保山さんがガリ版刷りで慌てて作りました。何枚ほど、五百枚。だから千枚都合できました。
その千枚のはらえつものを皆さんの手元に配るということもなかなか、間に合いません。ところがその、かえって遠隔地がですね、徹底したようでした。福岡と、じゃない、小倉、下関からあちら、名古屋、東京辺りからは、もう昨日から一昨日頃から来ました。こちらが速達で出してある。だから向こうからも速達でやっぱり送って来とりますけれど、間に合ってる。
のは良かったけれどもです。各地区地区にその、お願いしてこう配った。それがもう全然徹底してない。けれども私、皆さんがああして毎日参って見えますから、「明日の大祓の事知ってあるでしょう」と言うたら、「知りません」「あれ。はらえつもの受けてないですか」ち言うたら、「知りません」ち言う。
はあ、そげな(?)。久留米は誰かが責任をもって持って行じゃん。久留米地区は光橋先生にこそつけましたちゅうわけです。久留米地区の信者さんに光橋先生が配るというふうに、お願いすると方が無理なんだ。夕べ、佐田さん達が夫婦で参って見えれた。毎日参ってくる佐田さん達もそれを受けていなかった。
そうやってしておる事はもう、おびただしい。善導寺からも今日、一人二人参って来た。ほんで今朝からこうして配って来て頂いたからと言うて、慌てて持って来ておるというような事であったから、これはまあほんとにこういう有り難いです、もう皆もいわば信心があろうが無かろうが、願いとするもの、願いとしておるところがです。おかげの頂けれるいうならばお祭りに合えなかった、ということは残念な事であったな。私のこれは責任でもある。とこう思いました。
ですから私は、もう今日だけはもう、どんなに遅うなっても一人でも参って見えたら、お払いをしてあげたいつもりあり、または自動車もお払いしてあげたいと思うとります。ほんでもう、(後だに?)電話をかけたりいたしましてからしたような始末でございました。ね。
これからこういう大祓式に代わる大祓式があるというわけです。この12月にもあるわけでございます。ね、半年に一回、これはまた、一年中のお粗末ご無礼のお詫びのお祭りといったようなことに正確はなるでしょう。けれども、この夏の、いや6月30日の大祓式は、今後も、私の時代だけではない、次々私は、このお祭りがこういうような形で仕えられる事であろうとこう思います。
それは、どこまでも一つ、「交通安全大祈願祭」であり、「悪疫予防の祈願祭」であり、ということになるのでございます。そこで私は、今朝からも、今朝からじゃない、先程お食事をさして頂きながら、まあ、2、3の方と話したんですけどもね。今度の大祓式のこのお祭りと言うのはね、いわば何日前かに思い立ったんですいうなら。今までなかったお祭りですから。
けれども、今度のお祭りは当てたばい。当てた。例えば、私はそれこそ商売人ですからどうもそういう要望ができるんですよ。ね。大売り出しをいたしますでしょう。今度も売り出し当てた。というわけなんです。いうなら今度の大売り出しは当てたような感じがいたします。お参拝はこれだけなんですけれども、今度はですね、銘々がたくさん頂いておられるその隣近所に、その信心のない所に配られるんですね。
または、表に立て看板が出ておる。立て看板を見てから出て来られた。ね。もちろん現在、このここ辺は農業地帯ですから、田植えでの最中ですからなかなか忙しい。それで昨日、今朝私が座らせて頂いた間ずーっとお参りがあっておったのは、その信心の無い方達のお参りであり、同時に、あのはらえつものを持って来て払うてもらえばおかげが頂けれる、とこう思ってる方達のお参りでございました。
だから私が、はあ、これはもうほんとに信心の無い方達に呼びかける、いわゆるお導きの材料として、いうならば当てたというわけなんです。なら皆さんとてもそうです。信心が分かっておって、このお祭りにおられた方達でもです、何かなしかの特別のお供えをなさったり、特別のお初穂奉られてです。それだけここのいわば水だけが多い事なってくる。だから当てたっちゅうわけなんです。ね。この事で特別ころっと儲かったようなものです。
明日は明日で、月次祭で、もう月次祭のお供えはもう、神饌室にまた明日はいっぱい集まっておる。これは別にしてある。今日のこのお供えは今日のお祭りに集まった物、ね、ですからもちろんこれは、デパート辺りが何々売り出しと言うその売り出し、だから私は申しましたけれどもです。金光様のご信心は、もう名称が付く限りどういう何々祭りをしてもいいと私は思うんです。ね。
そのお祭りが多いほど、私はおかげを頂くと思う。皆さんの一生懸命の真心を奉る。ね。例えばその、大売り出しのたんびんに、やっぱり普段の時よりも売れ行きがあったり、賑わいがいったりしますように、今日の30日なんかにとてもこんなにお参りがありゃしません事だった。けれども、大祓式というもので、やはり皆がこうやってお参りをして来るんですからね。
なぜかと言うとですね。私が今、この歌をもって確信いたしますようにですね、もう絶対お参りをして来ればおかげを頂くと確信しておるからなんです。ね。真心が奉られればそれだけお徳を受ける事、力を受ける事知っておるからです私が。ね。ですから、( ? )なら毎月でいうならば、お大祭をしても良いような、私はものだというふうに思うのでございます。
まあ、今日の大祓式を奉仕さして頂いて、これは信心があってもなかっても、ね、神様のお徳と言うか、金光大神のお取次ぎによってです。ね。または私のささやかな信心によって、例えば、払い清めの式、払い清めの式が払い清める事ができたならばです。できるとするならばです。これは、有り難い事でございますから、信心のなかった方達がです、丁度私がここを立ちます時に、八十枚、自動車八十台分が来ておりました。
その八十台の自動車がです、いわばあの紙切れのような物ば書いてから、合楽に持って行っときゃ、確かにその、ケガもなからなければ交通安全のおかげを受けられるということがです、ほんとにそれができたとするならば、来年はまた、もっと思いの込められたもっと数の多い自動車が集まってくるだろう、とこう思うのです。ね。
けれども、「お払いを受けたけれどもやっぱり同じ事じゃった」と言やもうそれまで、おそらくこのお祭りは錆びれて行くでしょう。ね。そこに私は、ほんとにこれからの信心が必要である事を感じるのです。信心の無い方達にそれをとやこう言うてもしかたがない。
ところが、いかに払われましても、清められましても、もうその足から私どもはやっぱりまた、汚れて行くのでございます。ね。そこで今日の大祓式の事については、ただ今私が申しますように、この歌の中にございますように、ね、「霊幸はう、神の御徳に清められ、今は穢れの雲霧もなし」と言うおかげが受けられるお祭りであるということをです、皆さんに承知してもらい同時に、それを確信してもらえれるおかげを頂いてもらいたい、とこう思うのです。ね。
そこでです。いわゆるこれからなんです。信心なんです。いわゆる交通安全だけではない、悪疫予防だけではない、いやそれは、どのような事がありましてもです。ね。例えばなら、交通事故がありましてもです。ね。病気災難に遭いましてもです。その病気災難が有り難い、いよいよもっともっとおおきなおかげの基になるようなおかげを頂く為の信心を頂いて行くということ。ね。
そういう私は、おかげを頂いてもらわなければ、お道の信心の神髄とは言えない。ね。
今日は私、朝、まあ色々変わったお届けさして頂いた。こういう変わったお取次ぎさして頂いた。村一番に高い(やじを持った家?)があるらしい、こういうたくさん(やじ?)を持ってあるらしい。お家が。ところが周囲がですね、周囲が全部この堀に囲まれておる。入り口がちょこっとばっかり開いておるだけだち言う。ね。
ところがもう、泣くように言うて繰り返し繰り返し「こげな事お願いしちゃできんかもしれませんけれども」と言うてお願いをされるのがです。私の方の大きな、大きな家だそうです。大きな家の柱がこうやって、その倒れよる。もう石が、今まであった道がもう、この畑のほうが高なりよる。屋敷の方が低なりよる。というのもですね。そのもぐらがたくさんおるっちゅうんです。もぐらで家が倒れるごとがあるって始めて聞きました。
もうそれはですねもう、普通ならこうやって盛り上げるぐらいの事じゃけども、その、弥生十文字にもぐらが入っておるそうです。だから「どうかいっちょもぐらが、を退治ができますおかげを頂たい」ちゅう。こうやって穴をほがしとるでしょう。話し聞くとなるほどそうなんです。
水がですね、そこから伝わって堀の中に流れておる。だから、堀が埋まるように泥が、屋敷に泥が流れてしまうわけなんです。だからガバーッと屋敷が下がって行く。ね。それが最近そういうような、その事になってまいりましてですね。そらどうして私だけそげんも、その私は、もぐらがおるじゃろうかと言う。
そしてもぐらもですね、もう普通こんくらいとばってん、もう普通、普通のよりこんな太い。もう猫んごとしとる。(そないにと思うぐらい?)あるそうです。ほいでもう「この頃一匹捕まえましたけん、あなたもう尻を捕まえてからね、(ぼたうしてから?)殺した。そして、ご飯食べて来たところもうおらんげな、もう生き返って逃げておる。「けんもう、私あれが恨んでからこげんしようとしたのじゃろうか、ち思います」とか言うた最後に。うん。
しかし、もぐらの被害のそんなに大きいということ始めて聞きましたですね。そこで私は思たんですよ、どうして、んならお宅にだけそんなに多いじゃろうか、とこう言うわけ。(どうしていやもうんなら?)もぐらがよっぽど好いたもん(ごたつ?)じゃろう、と私は申しました。
そしたらあなた、もぐらっちゅう奴はまた、この泥の中でですね、やっぱえさを求めて、ミミズが一番好いとります。ならそのミミズが多い、そりゃあもうミミズのおることおること、そら気色の悪うごたっとがですね。この頃のですね、ショウケいっぱい捕ったそうです。ほんなこと( ? )ないです。
そんならばして、もぐらがやっぱ集まってくるなすて、と私は申しました。ね。もぐらが一番好きな物がそこにあるんだ。これはもぐらたいじするよりか、まずそのミミズ退治をせないかんと私は申しました。ね。私どもの難儀でも同じ事だと思うんです。ね。難儀のその、難儀だけをですね。こういう病気をしたり、こういう難儀が続いたりとこう言う。それならその基を辿らなければいけない。
お互いがそのモグラ退治のところばっかりその、考えたような事ないだろうかとこう思うのです。ね。今日はもういっちょ、まあ変わったと言うか、まあどこにもありそうなそのお話なんですけれど、私は、先日一回参って見えた時にたまがったんです。神様のおかげこれおかげ頂くな、と思たんです。
ある所からその、お母さんは熱心でしたけれども亡くなりましたが、娘さんが時々その、月に一遍ずつぐらい月次祭の時にお供えを持って来るくらいのその御信心。そこの長男が、私嫁さんをもろうておられる事知らなかったら、その嫁さんのお母さんにあたるということが、この近所これから一里ばっか離れた所から、行っちゃある。
そしてここでもほんとに、泣きの涙でお話されるのにです。もうそれこそ、あちらにはその、妹さんやら姉さんやらがおられてですね、もうそれこそ自分方の娘がもういじめ抜かれると言う話であった。ね。そしたら、その娘から手紙が先日来てからです。ね。合楽と言う所に金光様がある。そこの金光様なら必ず御利益が、(あらたかなげなけん、?)お母さん、私が参ろうと思うばってん参られん。もう(秒や距離でも?)時間が計っちゃある。だからもうとにかくその電話ここにかけよるばってん、もうその気が気じゃなか、参ってお願いをしてくれ、と言う電話がかかって来た。
それで実は今日は、と言うてからお参りになって見えました。話を聞きよってたまがったんですよ私は。あら、そんならあんたここに縁のある人です。そしたらもう、ほんならもう、ここに参って来よりなさるじゃろうけん、合図してやらないけん、しかも今朝から帰ろうとしなさるですもん。そげん毎日は参って来んけん大丈夫です。
そして参って来なさったと思たら、どうぞ私が参って来た事は、どこぞさんがと言うてその、帰られましたんですけれど、その翌日参って来たんです。向こうの兄弟が。ね。話を聞いてみるとですね、もうそちらもその姉さんの為に、もうそれこそ兄弟二人のものが泣きの涙、もう昨日からご飯が行けずにですね、この頃夜食とっとるですもん。
どういう事で( ? )ち言うたら、この頃ご飯が行けんほど心配な事ありましてとこう。兄の嫁をもろて1年になります。そしてこういうような事でとにかく難儀が続いておる、とこう言う。ね。とにかく私どもが助かりたい。その家全部が助かりたい。ね。だから、姉さん達も兄さん達も助かってなさったなら、と言うのである。
そのそもそもの原因がですね、妹さん達と姉さんがですね、その兄さんの悪口を言いよった。ね。それでもう嫁さんがそれを聞きござった。丁度その時に兄さんが二階から降りて来なさった。そして二階に上がってから、「今日は俺どんの悪口言いよったようだね」「いいえ」ち、「言いよった」っちゅう、「お前が言わん事ない、お前ともう分かる」ちゅう。「言え」ち。
そんなら言いもしましょうけれどもね、決してんなら、兄弟の方達の二人どん(してて下さるなら?)、したらそんな話ししよった。その時は言わんち言いよったばってんそれ聞いたらもうカッカして来てから、二人を手を(追い討ちだいに?)その兄弟をぶちた。さあその、今度はおののくばってん、女も負けておらん。もうてんでつかみ合いで、もうそれ以来と言うものは、もうご飯も別々、物言うたって返事もしなさらん。
ピシャッと口も閉めてから向こうのまでご飯を食べなさる。こちらでご飯ができたけんでっち言うたっちゃですね、その返事もしなさらん。というところからそういう事になって来た。それでいて、んならこちらも「どうぞ金光様にでもお願いをして下さい」と言う、「幸せになりたい」と言う願いを持っちょる。ならその兄弟達もですね、「幸せになりたい」とこう言うておる。
で今日私参って見えましてからですね、あなたが言うてくれるな言うくれるなと言いなさるけれど、これは言うた方がいいですばい。あなたも幸せになりたい。あなたとこの娘さんも幸せになりたい。あちらの兄弟達も幸せになりたい。嫁さんば、そのいじめようとかですね、嫁さんを追い出そうと言うのじゃないのです。
とにかくお互いが幸せになりたいけれども、どこからかこじれて来てからそういう事になってるんだ。・・・(途中切れ)
明渡 孝